*久保田東作氏は逝去されていた。
ご冥福をお祈りいたします。

 去る2月22日(日)付の朝日新聞大阪市内版
 大阪力!Part4  をご覧ください。

 大阪市都島区を拠点に「各国就・留学生助けあいの会」
「アジア・アフリカミュージカルチーム」の代表を務め、
アジアなどからやって来た青年たちを支援した。
95年1月の阪神・淡路大震災の時には発生後まもなくから
自転車で被災地へ入って被災した留学生を捜しまわって
3カ月にわたり約130人に「当座の資金や」と3万円ずつ
手渡したそうだ。1月に豊中市で開かれた「偲ぶ会」では
久保田氏を「お父さん」と慕う芸術家らが演奏と舞、歌
で別れを告げたそうである。事前に知っていたら私たちも
「偲ぶ会」に駆けつけていたと思います。

 久保田氏とのお付き合いは20年ほど昔に遡ります。
それは「イスラム研究」というテキストとして使う本の
注文を受けたことから始まった。10〜20冊くらいを何回も
言ってこられた。そのうち本業のほうつまり印刷業で
お世話に。商店街の広告ちらしをたのんだ。安く、早くと
仕事はとても誠実だった。いい人間関係を結ばせて
もらった結果「アジア・アフリカ」の音楽に触れる機会を
いただいたことは大きな宝として私の脳裏に残っている。
商店街のイベントにも「アジア・アフリカミュージック
チーム」を出演させてくれた。二胡や中国琵琶などめずら
しい演奏を披露してくれた。梅田のフェニックスホールの
杮落としに中国音楽の格調高い演奏をされたことは忘れ
られない。またあるときは京町家の奈良屋杉本家において
畳じきの座敷で中国音楽のいろいろの楽器による演奏と
コリアン舞踊を演じたことは印象的だった。久保田氏と
杉本秀太郎夫人のピアニストちえこさんが神戸の震災で
知り合ったことによるらしい。うちでは「人民のおっちゃん」
とよんでいる。「おっちゃん さいなら。ゆっくりしてや」