*近くの浄土真宗の寺院「蓮光寺」で老師さんの講話を聞かせて
いただいた。店休日の10時は早く、遅れそうだった。雨は降りそう
で降らなかったので、助かった。今日は鳥取の「野の花診療所」の
徳永 進先生の<お話テープ>を使っての講話だった。
読書会で昨年の秋ころ「こころの薬箱」とかを読んで、感銘を受け
たのでCDのお声を聞くのもいいな。と楽しみだった。
広い本堂には涼しい風がゆるく吹き渡り、静寂の中に参加者の皆さん
が10何人か、老師さんのお出ましを緊張してお待ちしていた。
そこへ小柄だが足腰のしっかり森正隆氏が姿をみせられた。やはり
かなりなお年と承っているが、少しもそういうなにか年齢が判るような
しぐさは一切ない。(なんとご立派。)寺の作法なのか、赤いお経の本を
手にされて、唱えられた。私たち参加者もその赤い本をお借りして、私
はとなりの方に教えて頂いてきまったページを開けて、文字をたどり
小さい声で唱和した。   徳永先生のお話は”がん”の末期の患者
さんの生きたい。との叫び声に等しい”生”へのがんばりの叫び声を
看護する人たちがどのように受け止めたか、どう処置したかのいくつ
かの事例をお話された。私は(死にかた)あるいは(死にざま)について
今日は帰宅して次のこと、あれこれ夕方まで、また炊事しながらも自分
の”死”について考えざるをえなかった。余命のはっきりとわかる”がん”
以外の病気で死ぬのってどうだろうか。そんなことばかり考えた一日だった。