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*どうしても、ここへ記録として書いておきたいこと。それは、さる9日の(日)京都国立博物館へ行った帰り道、JRで
帰阪するために、歩く距離ということで、下り坂をたらたらと下ってきたとき、東本願寺の寺域というか広く長い建物
や塀の横にまた広大な建物群がありました。「同朋会館」と書いた大きな看板が架かっていた。すぐ思い出しました。
10年以上むかしのことでしたが、今、施設へ入っている母はまだ<やる気>いっぱいで、此処王子町では、「本屋」の
邪魔にならないように、しかも自分の好きなこと、つまり「お手玉つくり」を趣味とし生きがいとして、此処へ同居
させてもらうのだと自分できめて、毎日 鼻歌で「お手玉つくり」に勢を出したのでした。私も全幅応援しました。
そのために、敬神婦人会わかば会のみなさんやベルタの万葉の集まりやご近隣の有志のかたがたに呼びかけて、「お手
玉」つくりのお手伝いをお願いしたことでした。その結果、たくさんの「お手玉」が見る間に出来上がりました。近く
の幼稚園や小学校などへ配ったくらいではなかなか減りません。そこで母は{何十年も前にいろいろの事情で海外へ渡っ
た日本の女の人びとに 懐かしかろう祖国の布でぬったお手玉をプレゼントしたい}と言い出したので、同じ本屋仲間の
滋賀県木之本町の岩根さんにお願いしたところ、即 願いが叶い、ブラジルの何箇所かとカナダの数箇所へと沢山の
お手玉が海を越えて、あちらに暮らす、日本人の手に渡ったのです。そのすべての事務的な事柄をひきうけてくださった
のがこの「同朋会館」のSさんとかいう女性でした。うちからは、京都まで送りつけるだけでしたが、運賃の面倒や外地
は広大な場所ですから、どこの土地に何個と割り振り数えて、すべての面倒を見てくださったのでした。半月ほど
したら、ぼつぼつ 送った先の責任者の方から、礼状が届き始めました。どのお便りも、読ませていただいて感動する内
要でして、母ともども 大喜びしたのでした。