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*絵本 大好きないつもの女の子。今日はこの前お買い上げの「いのちを運んだ
深夜の地下鉄」をご持参で来店された。この前 この本をお買い上げ時に私はひと
こと《私この地下鉄にあの晩 乗ったのよ》と何気なくつぶやきました。
《困った? なにを話せばよろしいのか》相手の小学3年生も なにを聞いたらよいの
か分からないらしい。昔の住所表記で南区高津7番町あたりから御蔵跡を通って
堺筋をわたり千日前を 今の難波パークス目差して、母は生後7日の下の弟を胸に
抱いて私と4才の弟を両手に手をつなぎ、おむつをいれたふろしきづつみをもってあち
こち 火の手のあがる暗がりの 道を急いでおりました。元難波球場のあった場所
は、ひろっぱと防火用水をためた 人工の池が掘ってあったのでしょう。途中で
出会った知人のおじさんは あそこへ行くのは危険だから、同じなら家族が一緒
のほうがよい。と諭されて、危険な中を苦労して、家のあった場所へ戻りましたが
家は近くへ落ちた爆弾のため 類焼して家族だけで私たちを迎えてくれました。
近くの防火用水へ荒縄でおんぶされて、つかり火事の火の粉を除け、火照ったからだ
を冷やしたのです。しらじらと夜が明けるころに黒い雨が降りましたね。 それから
組長さんがおみかんを配ってくれました。夜明けを待って焼け野原を 大人に
守られながら、ぼそぼそと歩いて難波駅へ行き、地下鉄に乗れたということです。
地下鉄は終夜運転をしてくれていたのですね。この本の著者は私と同年のようなのです